プロフィール

はじめまして。

心理セラピストの静咲(しずさき)宏美と申します。  

アダルトチルドレン、愛着障害、毒親育ちで、親に振り回され続けてきた方

ネガティブな感情を吐き出すことで、心の境界線が引け、私は私、母は母と思うことができ

これからの第2の人生は後悔せず、自分らしくセカンドライフを生き直すカウンセリングを提供しています。

私は50代後半まで、毒親である母親に振り回され続けた人生を送ってきました。

しかも、自分もアダルトチルドレンで、いくつになっても母親の機嫌を伺っていたり、怒ると怖い母から、怒られないように行動するなど、心の中に居座る母親のことが、片時も頭を離れませんでした。

どんなに距離を置いても、気が強く思い通りにしないと気が済まない母親は、様々な問題を起こして私に関わってきました。

母親の性格はもう変わらない、逆らったってごり押ししてくる、だから私は一生言うことを聞き続け、我慢するしかないんだ・・と諦めていました。

子育てもひと段落ついた頃、残りの人生を想像したら、介護で母からこき使われることしか思い浮かばず、絶望的な気持ちしかありませんでした。

ところが、50代前半、仕事のストレスから難病になってしまい、そのまま仕事を続けられなくなった時、自分のためにカウンセリングを学び、受けるようになったら、人生が180度変わりました。

母との関係性は絶対解決できない、一生我慢するしかない・・・と思っていたのに、カウンセリングを何度も受け、自分と向き合っていくうちに、私も母までも変わっていきました。

母の一方的な主張にNOと言えるようになり母も謝ったりしてくれるようになり、一緒にいるのが苦痛ではなくなりました。

その後病気になった母を介護し、最後を見送ったあと、素直に悲しみの涙を流すことができました。

以前の私だったら、「なんで病気になるの?わがままばかり言う母の面倒をなぜ見なくちゃいけないの・」と不平不満だらけだったでしょう。

そして亡くなった後は、もっと優しく面倒見てあげればよかった・・・と自責の念にかられていたでしょう。

過去の私のように、母との関係性を何とかしたい、でも解決は絶対無理、母に優しくできない自分を責め、悪循環に陥っているあなたへ。

あなたの悩みは、あなた次第で解決していけます。

親に振り回されている人生を続け後悔するのか、解決すると決めて後悔しないセカンドライフを生き直すかは、あなたの決断次第です。

あなたはどう生きたいですか?

人生折り返し地点を過ぎているあなたには、死ぬ瞬間に自分が後悔しない生き方を選んでほしいと願っています。

カウンセリングでは、カウンセラーとの相性がすごく大切です。

信頼してカウンセリングを受けていただくために

私のことを少しでも知っていただきたいと思い、詳しいプロフィールを載せています。

良かったらお読みくださり、参考になさって下さいね。

静咲宏美の詳しいプロフィール

【幼少期】母が気に入らないと怒られる八つ当たりの対象だった私

私は、父・母・4つ上の姉と私、4人家族で育ちました。

3歳ごろ、父の転勤で、(私の)祖父母と同居するようになってから、私を取り巻く環境は大きく変わります。

同居してからの母は、いつもピリピリしていて、私がちょっと失敗しただけですぐに怒るようになりました。

母は祖父母との関係が最悪で、けんかが多く、そんな母を見て父は腫れもの扱いするだけでした。

父にも頼れない母のイライラが増す中、母の満たされない心は自然と私に向き、甘えたい頼りたい気持ちが、八つ当たりという形で私に向かったのかもしれません。

でも幼かった私に、そんな大人の事情はわかりません。だから、イライラした母から

「親に向かってなんてことするんだ」

と怒られると、

私は、親にひどいことをする悪い子なんだ、と悲しくなったし

「もっと気を利かせて、てきぱき手伝いなさい」

と言われると

私は気が利かない、ノロノロしてるダメな子なんだ

と傷つき、どんどん自分らしさを失っていきました。

母はいつも何の遠慮もなく、思ったことをずけずけ言うので、私はだんだん思った通りに振る舞えなくなっていきました。

ある日、美味しいものを食べに行こうと、母に連れられ、食堂に行きました。

「好きなもの食べていいよ」

と言われたので、私は

「ラーメンが食べたい」

と言いました。すると

「なんでそんなもの頼むの。せっかく食べに来たんだから、もっといいもの食べなさい」

と叱られました。私は好きなもの食べていいって言われたから、ラーメンって言ったのに・・・。

じゃあお母さんが気に入る、美味しいモノって何を頼んだらいいの?

私は一生懸命考え注文しました。お店の人が私を気の毒そうに見ている視線が、今でも忘れられません。恥ずかしかったです。

自分が食べたいものも食べられず、母の気に入る答えを見つける時間は苦痛そのものでした。

また、こんなこともありました。

家族旅行の前、母がお弁当を作り始めました。でも出発時間が迫ってきた母は焦り始め

「ぼんやりしてないで手伝って」

「もっとテキパキできないの?間に合わなくなるよ」

「何してんの!やり直しじゃないか」

なんか、私が悪いみたいにどんどん言われます。

勝手に作り始めたのに、間に合わなそうで焦ってきて、全部私たちのせいにしてくる母。

見ていた父は珍しく、

「子どもたちに言い過ぎだろう」

と言いました。

「そんなこと言うなら全部あなたが作ってよ。できるの?できないでしょ。

できないんだったら偉そうに言わないで黙ってて!!」

強気に言われ父はムッとして黙り込みました。

私と姉は、母を怒らせないように、ひたすら手伝いました。

何とかお弁当が出来上がり、間に合ったら、ニコニコと旅行に出発する母。

その一方、私はもう旅行なんてどうでもよくなっていました。

母に言葉にビクビクしつつも、怒りを感じていましたが、そんなことを母に言えるわけもなく、黙って楽しそうなフリをしているしかありませんでした。

父の仕事の都合で、小6の10月に県外の学校に転校しました。

転校してすぐ、授業中に言った方言を笑われてしまい、ひどく傷つきました。

転校前は、友達と遊ぶの大好きな子どもだったのに、また笑われるかも、とすっかり心を閉ざして暗い子になっていきました。友達もほとんどいませんでした。

私が中学生になってもそんな状況は続きました。親に相談しても、父も母も

「仕方ないでしょ」

というばかり。さらに、母は更年期で手首が痛い、と今までにも増してイライラMax。

母があてにならないので、少しの希望をもって父に悩み事を相談しても

「オレ知らねぇ。お母さんに言って

などと言われ、親のせいで転校してこんな思いをしてるのに、わかってもらえず、八方塞がりでした。

だんだん私は、朝具合が悪くなり、登校を渋るようになっていきました。

母に気持ちが悪い、と言うと、2日間位は休ませてくれましたが、それ以上は「あんまり休むと学校行きづらくなるから」と休ませてもらえませんでした。

気持ち悪いのは登校するとますますひどくなり、学校では休み時間ごとに吐いたりして、とてもしんどかったです。

病院にも連れて行ってもらいましたが治らず、母からは

気もちの問題なんだよ。気をしっかり持ってれば大丈夫なんだから。頑張りなさい

と言われました。

「気なんて、しっかり持ってるよ!これ以上何を頑張るの?」

言っても何の返事もありません。我慢して、日々を過ごすしかありませんでした。

さらに、ただでさえしんどい状況だったのに、中3の秋に大学生だった姉がメンタル不調で家に戻ってきました。

メンタル不調なので、親はすごく神経質になって、

「お姉ちゃんが調子悪くならないよう、気を付けて接してね」

などと言われました。その時私は

結局この親は、病気がちな姉の方が大切なんだ、毎日調子が悪くても頑張って学校行ってる私のことなんて、なんとも思わないし眼中にないんだ

そう感じ、とても情けない寂しい気持ちになりました。

でもそれがある意味、こんな親を頼っていても私はいつまでも救われない。自分の力でなんとかしなければ

という気もちを持つようになっていったようです。

高2の春、親が転勤になり、以前住んでたところに戻れることになりました。

でも私は、そのままの学校で部活を続けたかったので、下宿して残ることになりました。

一般の家庭に一人、下宿人として住まわせてもらうことになり、親から離れて心底せいせいしました。

これでやっと私も変われる、良くなれる、と思いましたが、そう簡単にコトは進みませんでした。

私の心に残っていた母へのビクビク感は、形を変えて対人恐怖となり 友達や先輩と接するとき、顔がひきつってしまい、苦しい毎日でした。

恐れず自分を出せばいい、とわかっていても、出したら嫌われるんじゃないか怖かった

そもそも自分てどんなキャラ?

どこをどう出せばいいのかわからず、ただニコニコ笑っていることしかできませんでした。

母親の影響がこんなところで出現するとは、思いもよりませんでした。心からの自分を出すことが怖くて、友達づきあいはするものの、いつもモヤモヤを抱える毎日でした。

大学に入って、私も人なみにバイトをしようと思い、近所のスーパーマーケットに申し込みました。

ところがそのバイトの指導店員さんがきつくて怖く、まちがうと厳しい口調で怒られました。

バイトのやり方をおぼえようとしても、店員さんに怒られる怖さが先に立って、いつまでも覚えられません。

憶えてなくて遅いから、私のレジには長蛇の列。そしてさらに怒られる、が続きました。

一緒に入った友達は、やり方をおぼえてやれるようになっていくのに、私だけちっともできるようになりませんでした。

だんだん、バイトに行く事を考えただけでお腹の調子が悪くなり、結局3日でやめました。

今思うと私は、バイトの社員さんに母親を投影して、母に怒られる怖さで頭がいっぱい、固まってしまっていたようです。

その後バイトは怖くてほとんどできず、社会に出ることにも恐怖感を持つようになりました。

社会に出るのが怖かった私でしたが、何とか自分のペースでやっていける仕事=養護教諭(保健室の先生)になれました。

でも、職場では、失敗して怒られないようにいつも緊張状態で、緊張しすぎて失敗する、そして怒られる、の悪循環が続きました。

「どうして私はこんなにできない人なの?」

「なんでこんなに緊張ばかりしてるの?」

できない自分、頑張らないと人並みにはできない自分にいつもダメ出ししていて、自己肯定感はとても低かったです。

その原因が、幼少期に母から「悪い子」「そんなこともできないの」と「できない子」だと何度も言われたことが、ここでも私の心の中に居座って、邪魔してる、ということになど、気づけるはずもありませんでした。

その後、仕事の失敗を慰めてくれたり、励ましてくれる、優しい同僚と出会い結婚しました。

結婚した頃、姉が結婚したけど離婚、かねてから抱えていたメンタル不調が悪化、家を飛び出していき行方不明の状態でした。

そんな中出た結婚話だったので、私には絶対に婿養子、と言っていた母親も、家のことより、結婚できる時にさせてあげよう、と思ったのか、嫁に出ることもすんなり許してくれました。

私はこのようなタイミングで結婚話が出たおかげで、運よく嫁に出られました。そして、実家や母親から距離を置くことができました。

心がすごくラクにはなりましたが、これだけで私の問題が全て解決したかと言うと、そうカンタンではありませんでした。

結婚して12年、次男が生まれた直後のことでした。

突然父親から、電話がありました。

「お前にかけたお金、学費を全て返して欲しい」

私は自分の耳を疑い、何を言われているのかすぐには理解できませんでした。

よく知らなかったのでしたが、両親には、姉が行方不明の時にかかった生活保護費の返済と

パーキンソン病になった父親の治療費や介護の費用が負担が重くのしかかり

数百万の借金を抱えていたようです。どうしたら返せるか、思いつめての言動だったようです。

そのような事情を説明し、相談してくれたら違っていたのに、いきなり「お金を返せ」などと言われたので、ここまでひどい親だったのか、と心底絶望しました。

私にとっては、下宿や大学にお金をかけてくれたことが、せめてもの私への愛情のカタチだと思っていたのに、それすらも違っていたことに本当にがっかりし、情けなくて悲しくて、涙が出ました。

結婚して距離ができた分、良い方向に向かってきた親子の関係が、振り出しに戻るどころか、もう縁を切りたいと思うくらいになっていました。

その後、借金は親戚の力を借り解決できました。その後、父が75才で亡くなってからは、母は実家に一人暮らしでした。

しばらくはおとなしく暮らしていましたが、急にお友達と施設に入る、と言い始めます。

そのため今度は実家を処分しなければなりません。仏壇の処分や、家財の処分、引っ越し費用など、私もお金を援助し、引っ越しも手伝って、無事に希望通り施設に入りました。

ですが母は、ほどなくしてお友達とうまくいかなくなり、施設暮らしに不自由さを感じる様になっり、愚痴ばかり言うようになりました。

そして1年もたたないうちに、施設を出てアパートに引っ越すからお金を貸して、と、突然手紙が来ます。

私に相談もせず、アパートに引っ越したいから金を貸して、と一方的に言ってきたのです。

出せない、と言うとまた「お前にいくらかけたと思ってるんだ。15万くらいいいじゃないか。施設で我慢しろっていうのか?親に向かってなんてこと言うんだ

また、「お金返せ」「親に向かって・・・」

を言ってくる母に、私も堪忍袋の緒が切れました。

常識的に考えても、私がおかしいことを言っているとは思えなかったので

「いいかげんにして。アパートに引っ越すのは反対です。お金も出せません。そんな風なこと言うなら、もう電話かけてこないで

そう言って電話を切り、そのあと何度かけてきても無視しました。そして1年くらいは音信普通に。携帯も着信拒否にしました。

しかし、母を助けてくれる人が身近にいたようで、結局、一人でお金も工面し、アパート暮らしを始めました。

私は母から離れることができて、スッキリしたと同時に、ものすごい罪悪感も湧いてきて、しばらくは葛藤の日々でした。

母の身近な人から私は、ひどい娘だと思われているんだろうな、とも思いましたが、人の期待を裏切っても自分を守っていいんだ、と学んだことを思い出し、自分を大切にする選択をしたのでした。

親の借金問題がひと段落ついてから、仕事で転勤になりました。仕事は、若い頃は苦労しましたが、同僚や上司に恵まれ、なんとか続けていました。

ところが転勤先で、母そっくりで、イライラした感情をぶつけて怒鳴り散らす上司と出会ってしまいます。

その人と関わる仕事は結構多く、言う通りにして成果を出さないと、私も怒鳴りつけられる!と恐怖を感じた私は、どんどん仕事を増やし、遅くまで働き続けるようになりました。

そしてある日、突然の高熱に見舞われます。39度前後の熱が出続け、咳が激しく夜も眠れません。入院し点滴治療しても全然治りませんでした。

1か月位たって大学病院で精密検査したところ、気管支に炎症が起こる、自己免疫疾患の難病になってしまっていました。

母への恐怖感をその先生に感じ取り、機嫌を損ねないよう自分を追い詰めた結果、身体のバランスが崩れ、自分の免疫で自分をやっつける難病になってしまったのでした。

病気になった私は、その上司から逃げ出せ、しばらく職場に行かなくて済むことに、正直ホッとしていました。

私は、上司の期待にこたえることを優先して、NOと言えず頑張り続けてしまい、自分の体に病気を招いてしまいました。それだけ、母への恐怖が強く、母に似たような人に反応してしまう、心のクセがあったのです。

ある時、帰宅してからの息子の言動が気にさわった私は、これは直さないと・・と思い、夫が帰るなり、注意するよう言いました。

夕食の時、夫が注意し始めると、

「どうせ俺が悪いんだろ!

何でも、いつでも、全部俺が悪いんだよな!!

全部俺だけが悪いんだよな!!!」

いつもの何倍も怒った顔をして、食事もそこそこに部屋に駆け上がっていきました。そのあとも一人で怒っています。

「なんであんなにキレさせてんの?」

私は夫を責めました。

「オレ別に・・・。いつも通り怒っただけなのに、急にキレてきたんだ」

その場は静観するしかありませんでしたが、怒った息子は、このあと私たちと一切話をせず、食事もとらない日が一カ月以上も続きました。

その後、年末年始に帰省した兄が間に入ってくれて、何とか仲直りできました。その時なぜそんなに怒ったのか話してくれました。

「オレが何かやったあと、必ず父親がなんか言ってくる。いちいち言いつけるな!チクって父親に怒らせるな!

そういうの、おかしいだろ

その頃の私は、息子のことで、直した方がいいと思ったことがあっても、私は叱らず、夫に叱ってもらっていました。

夫の方が睨みがきくし、息子も言うことを聞くから、というのが理由でした。

でも、本音は、思春期の子と関わるのはメンドウクサイ、反抗して言うこと聞かないし、疲れるからイヤ、という気持ちがありました。本当に最低です。

息子と向き合うことを避け、夫を操ってチクって叱らせる、というおかしなことをしている自覚はまったくなく

その間違いを息子から指摘され、目が覚める思いでした。

気が付かないうちに毒親になっていた自分の姿に、衝撃を受けました。

息子が反抗して教えてくれなかったら、今もそのままだったかと思うとぞっとします。

その後、私たちへの不満というより、息子が自分の悩みで落ち込み、話をしなかったり食事をとらないことが何度かありました。

「年頃なんだから、そういうこともあるよ。見守るしかないんじゃない?」

と夫は言いましたが、私はとてもそんな風には思えませんでした。

息子が私にニコニコしててくれないと、ものすごくつらくなるのです。

自分の仕事も手につかないくらい気になって、どうしてあげたらいいんだろうと考え続け、出口のないトンネルをぐるぐる回っているような気持ちになりました。

何もしてあげられない自分には生きる価値がない、私は親失格だ、死んだ方がマシだとまで思え、苦しくて、涙が止まらなくなる毎日が続きました。

こんなに心がかき乱されるのはなぜ?いくら考えても、何を調べてもわかりませんでした。

その頃の私は、養護教諭の仕事を辞めて、カウンセラーになるべく、勉強中でした。

息子のことで異様に心が揺さぶられ、つらくてたまらなかったので、その時カウンセリングを教わっていた先生の、カウンセリングを受けることにしました。

カウンセリングを受けたら、まず母親との関係性を詳しく聞かれました。

母親との関係がかなりしんどかった私は、母と接する時、すごく防御していました。例えると剣道着のようなものを着て自分を守って接していたようです。

ところが私は、母にだけでなく、子どもにも剣道着を着たまま接してしまっていて、その距離感を保たないと、母親や人と怖くて接することができなかった、それが子どもとの関係にまで影響していたなんて・・・。

カウンセリングでは、母親への怖いという見方や感じ方を徐々に緩めていきました。

私は息子のことを、半ば母親だと思って接していたことがわかり、それをちゃんと自分の大切な息子だととらえ直し確認したことで、息子に対する過剰な反応は落ち着きました。

子どもとの関係は、母親との関係性とつながっていて、そこを見直したり、とらえ方を変えていくことが大切なんだと痛感しました。

さらに、私のように、親の感情のお世話をしてきた人のことを、アダルトチルドレンといいます、と教えていただきました(普通はこのような指摘はしません。カウンセラーのためのカウンセリングだったので、あえて言って下さいました)

アダルトチルドレンという言葉は、聞いたことはあるものの良く知らず、「精神的に問題を抱えた人」と安直に捉えていました。

なので、最初はネガティブな受け止め方をしてしまいましたが

原因がわかれば治療法がわかるように、アダルトチルドレンだったからいろんなことが辛かったんだと腑に落ち、希望が持てるようになりました。

アダルトチルドレン解消専門のカウンセリングがたくさんあるし、本も出ているから、これは解決できる悩みなんだと切り替えることができました。私はむさぼるようにアダルトチルドレンに関する本を読みまくりました。

すべて自分のことが書いてあるような本ばかりで、なぜ今までこのような本に出会えなかったのか、知らないって損だなあと、つくづく思いました。

潜在意識アロマとは、アロマを使ったカウンセリング手法で、香りを使って、心をリラックス状態に導き、日々選んだ香りと共にアファメーション(肯定的な未来宣言文)を唱え、潜在意識を書き換えていくものです。

ニューロセラピーとは、物事をバランスよく見られるようになる手法で、客観的な視点を得られる質問を自分に投げかけることで、偏った見方にをニュートラルに戻す、というものです。

潜在意識アロマ&ニューロセラピーを学び、自分に使っていくことで、私は徐々に変わっていきました。

潜在意識アロマでは、好きな香りを嗅ぎそのキーワードから、自分が潜在意識レベルで信じていることを明らかにし、それを書き換えるアファメーションを作ってもらい、毎日唱えることで自分自身を変えていきます。

カウンセリングを受けるたびに、小さい頃に封印した、怒りや悔しさ、悲しみなどの感情を解放していきました。

出来事の記憶と共に、いくつもいくつも出てくるそのような感情を、私自身が「頭に来たよね、悔しかったよね」とわかってあげて、ねぎらってあげました。毎回涙が止まりませんでした。こんなに抱えてたら苦しいわけだ、と腑に落ちながら毎月カウンセリングを受けていきました。

アロマの香りに助けられるので辛さはなく、自分がアファメーションをするたびに、新しく生まれ変わるように潜在意識を書き換えていきました。

ニューロセラピーでは、普段あまり考えないような質問(ワーク)に答えていくうちに、視野が広がることを実感できました。

例えば、「このひとはいつもこう(だから嫌い、とか)」とレッテルを貼っている事ってありますよね。

そのようなレッテルを剥がすワークでは、自分が嫌だと思う母親と、正反対の行動をしている母親を、記憶の中から探していきます。

私の場合、「いつもお金を貸せと言ってくる母」の反対は、「お金とは関係なく献身的に私をサポートしてくれる母」でした。記憶の中にそんな母をさがしました。そしたら

・就職直後、週末実家に帰ると、1週間分のおかずをタッパに持たせてくれた。それが3年続いた

・結婚してから時々そうしてくれた

・抜歯など体調不良の時は、文句も言わずに3食作って洗濯掃除全部してくれた

このようなことをたくさん思い出し、嫌な母だけじゃなかった、と納得できるまで書き出していくと、嫌いな母が母の全てではなかったと気づかされました。

そうしたら、私の、母へのとらえ方や見方が変わり、一緒にいても全然モヤモヤせず、そういうところもあるよね、でもそれが全てじゃないと客観的に考えられるようになったのです。

客観的視点を得ることができると、心の平安を得ることができます。何かあっても、すぐそこに戻ることができるようになります。心の平安を自分の力で得られるのは、大きな安心感になりました。

境界線を引く、という言葉、ピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。

簡単に言うと、私は私でいい、母は母でいいと思えることです。

まずはじっくりお話を伺って、あなたとお母さんの、心の境界線を意識することから始めていきます。

また、あまりにもしんどいお気持ちが強いときは、アロマのカウンセリングを使って癒していったり、その後状況に合わせて客観的視点に立てるような質問やワークも織り交ぜていったりして、

ただ話を聞くだけでは終わらない、あなたに最適な手法で解決へと進めるカウンセリングをご提供しています。

私は、カウンセリングを通して、誰かの期待に応えた人生ではなく、自分の心の声を聞き、本心からやりたいことを大切に生きられる人を増やしたいと思っています。

以前の私のように、親との関係性が心の呪縛になって生きづらさを招いていることがあります。これは自分ではなかなか気づけません。目の前の問題や悩みをひも解いていったらそうだった、ということがほとんどです。

だから、悩みを抱えてつらいとき、モヤモヤするときこそ、カウンセリングを受けて欲しいと思います。

しんどい気持ちを、見ず知らずの人に話すことはとても勇気がいるし、怖いと思います。

それに、私なんかの悩みで、人に迷惑をかけてはいけない、自分でできることは自分でやらなければ、そんなふうに教えられて育ってきましたよね。

だからますます人に相談するハードルが高くなっていると思います。私もそうでした。人に相談するという選択肢がありませんでした。

でも、そんな私は50代後半まで問題を抱え、悩み続け、さらには病気にまでなってしまいました。あなたには、私のように遠回りはしてほしくありません。問題が体に影響する前に、さらに次の世代の子どもたちにまで影響する前に、あなたの心を救ってあげて欲しいのです。

心と体はつながっています。体は潜在意識の影響を強く受けます。あなたの心を救ってあげられるのは、あなただけなのです。

カウンセリングが怖くても、そのままのあなたで大丈夫です。私は出会ったクライアントさん全員から、「安心できて何でも話せた」と言っていただいております。怖さがなくなり、安心できることを保証します(^▽^)

話せる範囲から、ゆっくりお話を伺っていきますし、100%あなたに寄り添い、あなたのペースを大切に、カウンセリングを進めていきます。

そして、この出会いを大切にし、解決するまで伴走しますのでご安心ください。

カウンセリングは、セラピストとクライアントの共同作業です。

私が解決してあげるのではなく、車で例えるなら、ドライバーはあなた、助手席でナビゲートするのがセラピストです。自分一人で運転しても、望む方向や目的地に進めるようになるのが目標です。

ですので、お互いの相性も大切です。このプロフィールで、私を知っていただいた上で、合いそうかどうか判断していただき、お試しカウンセリングを気軽に受けてみてくださいね。